みんなの声

登山の趣味を活かした火山ガイドの活動で
地域とともに生きる

池田 武史(いけだ・たけし)さん、
眞理(まり)さん ご夫妻

若い頃から北海道が好きで大学は北大へ。首都圏で現役生活を送ったのち、定年を機に夫婦で伊達市に移住した。近隣での山歩きを楽しむ一方、地元の有珠山などについて学んで火山マイスターの資格を取得。ガイドとして火山に関する理解を広める仕事もしている。

池田 武史(いけだ・たけし)さん
眞理(まり)さん ご夫妻

1947年4月東京生まれ。北海道大学工学部卒業後、キヤノンに入社、OA機器の設計などに携わる。2007年、定年退職後、伊達市に移住。妻・眞理さんは砂川市生まれ。学生時代まで札幌に暮らした時期もある。

  1. なぜ北海道に移り住もうと思ったのですか?

    学生時代や家族旅行などの
    さまざまなご縁がきっかけです。

    〈武史さん〉父が仕事で北海道に出張することが多く、私は中学生くらいのとき、よく父から北海道の話を聞かされていたんです。それで北海道という土地に強く興味を持つようになり、大学は北海道大学を選びました。学生時代はワンダーフォーゲル部で、道内あちこちの山に行きました。卒業し、結婚してからも2〜3年に一度は家族で北海道旅行をしていました。そんな縁がありましたから、定年が近付いて、やはり北海道に暮らしたいなと思ったわけです。
    〈眞理さん〉夫の現役時代は横浜に長く住んでいましたが、私もいずれは人混みから離れて暮らしたいという思いがありました。ですから北海道に住みたいと聞いて、夢を叶えさせてあげてもいいかなと思いました。

  2. なぜ移住先として伊達市を選んだのですか?

    都市の規模としても生活に不便や不安がなさそうでした。

    〈武史さん〉私たちが移住を考え始めた2005年頃は、ちょうど団塊世代の定年退職の時期が近付いて、マスメディアでも地方移住の話題がよく取り上げられていました。北海道では伊達市が「北の湘南」なんてキャッチフレーズで呼ばれたりしてました。そんなこともあって雪が少ない、ある程度の規模の街で、生活にも不便はなさそうということで伊達市というところに関心を持ち、他の場所を比較検討することはなかったです。
    〈眞理さん〉私は北海道生まれで札幌にも暮らしたことがありますけど、北海道で雪が少ない場所なんてあり得ないと思っていたんですよ。

  3. 移住に至るまでの流れを教えてください。

    まずは市役所スタッフの案内で下見から始めました。

    〈武史さん〉定年の前年、2006年の夏に一度、伊達市へ下見に来ました。市役所の人が市内を案内してくれ、話も聞かせてくれて気持ちが固まりました。2007年4月末日で退社、その1ヶ月後が伊達での暮らしの始まりです。4月に一度、不動産屋さんとの打ち合わせのため伊達を訪れましたが、その日には噴火湾の向こうに見える駒ヶ岳の真っ白な姿が神々しく見え、祝福されているような気分になったことを憶えています。
    〈眞理さん〉伊達に移住する人の約7割は道内の人だと聞いて、ちゃんと現実面を評価している人が多いんだと、いい印象をもちました。私は北海道に住むことが決まってから58歳で運転免許を取ったんです。こっちでは車に乗れた方がいいと思って。教習所は若い人ばかりでしたけど、それも楽しかったです。

  4. 住まいはどのように決められたのですか?

    まずは賃貸アパートからスタート、そして一戸建てへ。

    〈武史さん〉最初はアパートを借りて仮住まいをしていました。夫婦2人で暮らすにはそれでも十分でしたが、ペットの猫がいたことなどもあって一戸建てを買うことにしました。今の家は住宅地の一角で、買い物にも不便がありません。仮住まいしていた時期、散歩しながらこの辺に住むのもいいね、と話していたところだったのです。ちょうどリフォーム工事をしている家があったので話を聞いたら、これから売り出すということで、それで業者と直接商談して購入に至りました。ラッキーでしたね。アパートでの仮住まいはちょうど1年ほどでした。

  5. 移住にあたっての不安はなかったですか?

    ちょっとしたきっかけから人とのお付き合いは広がります。

    〈武史さん〉特になかったけど強いていえば、こっちに来て友だちのネットワークがうまくできるか、といったことでしょうか。でも私たちは2人とも人付き合いはうまくできる方なので、何とかなるだろうと思っていました。伊達に住み始めてから、私の車の横浜ナンバーを見て、「私もそっちにいました」という人と知り合ったりも出来ました。
    〈眞理さん〉そう、ちょっとしたきっかけから、人の付き合いはどんどん広がりますね。変なしがらみといったものはないですし、よく来てくれたという感じで接してくれる人が多いです。何より、伊達の人が伊達の街を好きでいるということが感じられるのがいいですね。

  6. ご活躍されている火山マイスターの仕事とはどのようなものですか?

    山と共に生きてきた地域の歴史をガイドとして伝える役割です。

    〈武史さん〉有珠山は数十年程度の短い周期で噴火する可能性があるため、地域で火山に対する正しい知識をもつ人が必要です。北海道胆振総合振興局によって「洞爺湖有珠火山マイスター制度」がつくられており、私は山が好きだった縁で、周囲に勧められてこの資格を取ることにしました。2011年に第4期生として認定を受け、観光客へのガイドをしています。仕事するのは大体4月から10月までのあいだ、週に数回というペースです。火山学者の宇井忠英先生、岡田弘先生、三松正夫記念館の三松三朗館長に教わる機会もあって勉強になります。火山と共生してきた地域の歴史を伝えることに、マイスターとしてのやりがいを感じます。

  7. 今の生活で生きがいに感じることは何ですか?

    火山マイスター、山登り、そして絵画も始めました。

    〈武史さん〉火山マイスターの仕事がない日は、天気が良ければ山登りに行きます。手軽に登れる山は近くにいくつもあり、早起きなんかしなくても余裕をもって行けるのがいいですね。こっちに来てから自己流ですが、絵も描き始めました。この絵は手前が洞爺湖、その向こうに噴火湾と伊達の市街が広がります。実際の位置関係とは違いますが、これは私にとっての心象風景です。
    〈眞理さん〉私もときどき一緒に山に行ったり、冬はスノーシューを履いて歩いたりするようになりました。あと伊達ではコンサートもけっこうあり、札幌交響楽団の公演を聴けるのも楽しみです。

  8. これから先の10年はどのように過ごそうと考えていますか?

    その時々で自分たちにあった生き方を。

    〈武史さん〉これまで60歳から70歳までは体調面では特に問題なくやってきたけど、これからは段々そうもいかなくなるかもしれませんね。体調管理にはより気を遣わなくてはならないでしょう。幸いこれまでは2人とも大きな病気をしていません。伊達の医療レベルはまずまずですが、必要なら室蘭もしくは札幌の医療機関を使うということもあり得ます。  今後は10年単位というより5年単位で先を見ていかないといけないかもしれません。でも実際のところ、ここまでの10年も計画的に物事を進めてきたわけではなく、自然に道が開けてきた感じです。実をいうと火山のガイドをするなんて、こっちに来るまでは想像もしていなかった展開です。ここから先も、そのときの自分たちに合った生き方が見えてくればいいと思っています。

    池田さんのエッセー『伊達スケッチ便り』

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